渋さ史1993

渋さ史1993



(文中すべて敬称略)丸山秋穂


<1993>
1.12 代チョコで深夜ライブレコ-ディング 『DETARAMEN』。
2.23 代チョコで、「コント物産」、「アイゴーズ」、「厳格合奏団」(渋チビ前身バンドの変名)。
3 ツアーのための新曲リハ。「関東砂化地獄」「KON(根)」「ライオン」
4.1 CD2枚同時発売(伊郷俊行自家製カセット「玉音」も便乗発売)@下北沢「CLUB 251」
会場で販売された2枚のCD盤は、”レーベル印刷と録音された内容がアベコベになっていた”
この日、片山と打ち合わせに来た渋谷毅は途中から演奏参加。関西ツアーの日程を尋ねて、
「僕は京都には  行けます。」と宣言しそのままメンバーに。
4.7~10 西日本ツアー。風煉ダンス(と野口市議)が舞台美術を担当
(巨大な顔のオブジェ、巨大風船モンスターなどを持っていく)。
4.7 静岡県島田市、映画館「みのる座」。回り舞台の痕跡がある劇場。
新潮社「フォーカス」の取材で福田文昭カメラマン(田中角栄法廷写真を撮ったかたです)撮影するも、
「フォーカス」には載らず。後日、「フォーカス編集部」から謝礼代わりに高島屋の包装のオールドパー
(1?瓶)2本が宅配便で某所に届いた、(BUDDYにてみんなで飲んだ…オールドパーは晩年の
田中角栄の好物…新潮社の懐は深い)
4.8~9 夜、京都・磔々。 深夜、京大吉田寮食堂。(客に京大生のタムタムがいた)
4.9 京都・拾得で片山広明、林栄一、加藤崇之、大沼志朗、不破大輔。(まだ、渋さチビズとは名乗っていない)
4.10 心斎橋・クアトロ(ゲストに大原裕、芳垣安洋、登敬三、カズ中原など関西のミュージシャン多数)。
顔のオブジェ業務用エレベーターに乗らず、心斎橋パルコの最上階まで階段使って人力で持ち上げる。
5.30 サン・ラ-死去
この頃、「花形文化通信」紙に4.10のライブ評が出る。(筆者は小堀純)
7.17 渋谷クアトロ『アクロス・ザ・ボーダーライン』(篠田昌已追悼コンサート)に出演。
7月 8ミリ記録映画「渋さ知らズ in KIOTO」(佐藤訪米監督作品)京都で公開。
(11月に関東上映ツアー)
8.29 本牧ジャズ祭。対バンに結成直後のソウルフラワーユニオン。
風煉ダンス巨大イモムシ?を持ち込む、担ぐ人間だけで十数名。
不破ステージから転落するも無傷。舞踏家たち
(サルバニラ:蹄ギガ、菊地七変化、星野建一郎……後に「大豆鼓ファーム」)が初登場。
(この日は全身銀塗り PAアンプの上に仁王立ちして花火をやってる最中に消防署の視察あり)
以後本牧ジャズ祭からはお呼びがない。事務局長の某石橋氏には未だに頭があがらない。
10.9 第一回横浜ジャズプロムナード。ドックヤ-ドガーデンで無料ライブ。
翌日、朝日社会面に渋さの写真載る。 以後、毎年出演。
10.15 新宿ピットインに初出演。
観客に作家・笙野頼子(翌94年、「タイムスリップ・コンビナート」…渋さの名前が出て来る小説です…で芥川賞受賞)。

10.21 川崎クラブチッタ『梅津和時七転八倒』にゲスト出演するも、
ゲストらしからぬ大暴れぶり。(以後クラブチッタからお呼びはない。
この時、梅津が「渋さ知らズ」を”Never Be Cool”と訳した、と謂われている)
10.25~30 「風煉ダンス」公演『犬姫』@法政学館ホール。音楽・不破。
20名近くの渋さメンバーが生演奏。怪文書が飛び交う。「犬姫のテーマ」「くじら」
11 「群像」誌12月号に笙野頼子10.15のライブ評「狂熱の幻視王国 渋さ知らズ」掲載。
11.20 法政大学大学祭@学館ホール、に出演。対バンに少年ナイフ。
12 自主レーベル「地底レコード」を設立。
(つうか吉田社長が設立を決意したのが、つうか競馬で資本金をヒネリ出したのがこの頃)

タイムスリップ・コンビナート

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